2004年 10月 10日
『あなたの職歴を教えてください』の答え |
初めてのアルバイトは、高校卒業後のアルバイト。
大学の入学式までのあいだに、けっこう稼ぎました。
家の近くの食品スーパーでした。
バックヤードでの作業(値段付け)や品出しが中心。
同じ歳の仲間がいて、友だちになりました。
1年半続けました。
2つめが、所帯は小さいものの全国展開していた
学習塾での受付兼事務業務。
夏期講習の申し込みを電話で受けてただけで、
受付件数がトップになり、寸志をいただいたことも!
ここは1年くらいだったかな。
学生時代最後のアルバイトも、学習塾(別のところ)。
ここは、地元の最大手。
ここでも、事務の仕事をしていました。
経理(月謝のチェック)やテスト用紙の印刷、
模擬試験の監督・答案の添削等々。
「うちに来ない?」と就職を勧められたのですが、
どうも塾の方針が好きではなかったので、やんわりとお断り。
大学を卒業し、正社員として最初に働いたのは、
食品スーパーでした。
と言っても、地元でチェーン展開している準大手くらいの規模。
男女雇用機会均等法が施行されたとは言え、
合同会社説明会で話を聴きに行くと、
「ウチは大卒の女のコは要らないよ。」などと
平気で言う担当者がいるような田舎です。
結婚してもずっと働き続けたいと考えていた私は、
女性の視点を活かし、長く働けるところと言うと、
やはり流通関係かしら?と思い、決めました。
管理部で総務・人事の仕事をほぼ6年しました。
中小のスーパーにありがちな同族会社で、
しかもトップが人間的にまったく尊敬できない人だったのですが、
直属の上司に恵まれ、社会人として必要なことを教わることができました。
この上司がリストラされたため、私も後を追うように辞めました。
9ヶ月の失業期間を経て、いまの会社に潜り込むことができました。
広い意味でのコンサルティング会社です。
前職の経験が非常に役に立っています。
2社目のここもあとわずかで丸9年。
そろそろ卒業したいような気がします。
(かずさん)
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初めてしたアルバイトは、大学一年のゴールデンウイークに、友達に誘
われてした、<旅館の手伝い>でした。
その次が、<牧場の手伝い>を5ヶ月ほど。
朝の6時ごろから8時ごろまでの、登校前の時間。ほぼ毎日でした。
そして、<えびせんべい工場に併設されたお土産屋の、レジ&商品並べ。>
これは、週1回ぐらい(月に3、4日)だけでした。
<児童館の手伝い>大学2年の途中~3年頃。週1回。たぶん1年ぐらい。
<養護施設のパート>年度途中で辞めた職員の穴埋め。約3~4ヶ月。
主に、幼児達と、遊んだり散歩に行ったり昼食を食べさせたりする補助。
<引越し手伝いのバイト>大学3~4年の春休み(?)。不定期に5、6回。
<チラシ配り>1日だけ。(初日に配らされたのがテレクラのティッシュ
だったので、その日の分だけ配ったけれど、すぐ辞めた。若かった~。)
大学4年の時も、多少のバイトはしていたはずなんだけれど、ほとんど
忘れてしまいました。覚えているのは、上の二つだけ。
卒業後、<学童保育の指導員>
1年目は、常勤2人+パート1。(私はパート)
2年目は、常勤2人のみ。(ベテランのかた+私)
3年目は、常勤1+パート1(私+パートさん)で、1年の間にパートが3人交代。
4年目は、常勤1+パート1(4月に採用したパートさんが1週間来て、1週間
休んで辞めた後、その約1週間後に入ったパートさんが、定着。)
5年目、去年のパートさんが定着していてくれたけれど、自分は、とても
無理をしていたようで、情緒不安定になり、9月1日に退職。
<掃除(ビル清掃)のバイト>人と関わるのは少し休みたい。と、掃除
のバイトをしてみるが、手荒れがひどく、3ヵ月半ほどで辞める。
《1ヶ月の、失業!》この経験が、今、頑張れる源。
<特別養護老人ホーム>の、短期パート。2ヶ月。
≪その後、現在働いている仕事へ。≫
1999年、4月に、<知的障害者授産施設>のパートとして採用される。
7月から、同じ法人内の<高齢者デイサービス>とで、パートの掛け持ち。
2000年、<デイサービス>と<知的障害者グループホーム>で、パート
の掛け持ち。プラス、他所の事業所で、<ホームヘルパー>。
2001年、同じく、<デイサービス><グループホーム>プラス、他所で
<ヘルパー>。働く時間帯や、曜日に変化あり。ヘルパーが増える。
2002年、<デイサービス>と<グループホーム>で、パート。グループ
ホームで働く割合が多くなる。ヘルパーは辞める。
2003年、常勤になり、<グループホームの責任者>+同じ法人内の、
主に知的障害者を対象とした<ヘルパー>。
今年。…去年がしんどかったので、ちょっと退いて、契約職員(1年契約)に
なり、<ヘルパー>と、<グループホーム>と、<知的障害児・者の
ショートステイ>で、どこも、責任の軽い立場で、働いている。
≪感想≫、人の下で働くのは苦にならないけれど、自分が下の人たち
をまとめていくような、小さいグループの中でも、「トップ」的な立場にな
ると、途端に辛くなってしまう。今は、自分より年下の人たちの下につ
いて働いている。こんな事が、後どれくらい許されるのか、不安になる
事もあるけれど、今の立場は居心地が良い。
(さわさん)
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少ないバイトの中でも心に残っているのがミセス向け
ファッション誌の編集部での2・3ヶ月でした。
編集長が唯一男性で他は全員女性ばかりという環境。
個性的な私服のお姉さまばかり・・の中でひたすら私は
緊張しつつ使いぱしりの毎日。
イメージとは違う裏方の様子を多少でも味わえた気がします。
ファッション誌といっても流行ファッションでなく、洋裁専門で
モデルさんが撮影で使用する為の、服・アクセサリー・バックなど
小物類すべてをメーカーから大量にレンタルし、それを アクセサリー全て
タグを外し現物コピーし タグナンバー記入チェックし、使用後は
またタグをつけ直し期日までに返却しに行くという作業。
慣れてきたら撮影前の服のアイロンかけです。
しかもオフィスの隅の方でずっと立ったままで疲れました。
初めは全部丁寧にかけてたら「あーこれ全部やる事ないから!
撮影は表だけ綺麗ならいいの。」 と言われ なるほどー。
服の返却なんてクリーニング屋のワゴン車状態で
返却の為、車で一日メーカー3社くらい移動した時は
肉体労働してるなあ(笑)って思いました。
運転手さんとの会話がかなり息抜きになりました。
それでも 貴重な経験でした。
その後、証券会社に就職してからは 本当に色々と
経験しました。 ひと事で言えば、窓口業務に
なるのですが 入社前にイメージしてた銀行窓口とは
全く別で これもまたまた肉体労働(笑)!!
窓口以外の デスクワークと顧客訪問によるセールス&
フォロー営業。 下町から兜町・御茶ノ水・八重洲と
異動しそれぞれテレトリー別の特色や微妙に違う顧客層。
主婦・お年寄りから商店経営・会社員、そして上場企業役員クラスと
幅広い年齢層の顧客とのつき合い。
主婦層ターゲットにした金融商品セミナー、クッキング教室、
日帰り都内観光バスツアーの企画や、セミナー講師と
バスツアー添乗同行まで。
つまり何でも屋さん(笑)でしたね。
~得たもの~
自分の価値観や人生観の原点はこの16年の
歴史で学んだことが影響してる。
バブル以前と バブル崩壊後の長期低迷期の 両極端な
2つの時代を経て 人を見る目が養えただけでなく
お金の価値だけでなく それ以上に人間の心の豊かさが
何よりも勝る宝ものということは時代が変わっても永遠に
不変だということ。
そしてそう願いながら現実社会では、心を蔑ろにし
お金の事となると目先の幸せの幻想にとびつき
気づかない傾向が圧倒的に多いと痛感したこと。
経済最先端の環境で新しい情報と良質なそれの選別に
敏感になったこと。
時代の流れと共にあれよあれよと変化し続ける
職場環境で 新しい環境への適応力がついた。
自分自身、ポジティブ思考に生涯変化しつづけ
たいと考えるようになった。
(TOMOさん)
by blissfuly
| 2004-10-10 17:12
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